恵方巻きの由来って実は意外なところにあるって言われています。
そのひとつが、恵方巻きの由来に遊女が関係しているということです。
これ自体にもいくつか諸説があるので、まとめて検証してみました。
とっても気になる、恵方巻きの由来に迫ります。
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豆まきと恵方巻きを組み合わせたお遊び隠語はデマ?
恵方巻きっていうのは元々江戸から明治時代の島原遊郭(京都)での遊びが発祥なんだよね。節分の日の「豆まき(豆遊び)⇄寿司丸かぶり」ていうのは相互口淫の事で「陰核を巻き陰茎をくわえる男女の睦み姿鬼の如し」て赤丸稲荷の古文書に書いてる。これ知ってる人少ないかも。
— 平民金子 (@heimin) 2010年2月3日
豆まきと恵方巻きを組み合わせたお遊び隠語に関しては、2010年にツイートされたネタが5年は続いた模様です。。
大阪ではなく京都の島原遊郭発祥なんだというくだりから始まるツイートです。
しかし、これは完全にデマでした。というかネタでした。
信憑性を確認するより先に、内容が卑猥で影響力が強く、拡散してしまいました。
騙されないようにしてくださいね。
恵方巻きの由来が遊女が関係している説はお寿司屋さんの販促チラシでわかる?
恵方巻きの由来は遊女が巻き寿司を丸かぶりしたことだ、
という説はかなり広まっています。
これは、大阪のお寿司屋さん組合のチラシが証拠になっています。
昭和7年に配布されたチラシで、巻き寿司の販促チラシです。
そこには、古くから花柳界(かりゅうかい)で、もてはやされていたとありました。
代表的な説が4つあります。
- 幕末から明治時代初期に大阪・船場の商人が商売繁盛、無病息災、家内安全を願ったのが始まり。
- 船場の花街で働く女性が階段の中段に立って、巻ずしを丸かぶりすると願い事が叶ったという故事に因む。
- 船場の旦那衆が節分の日に行った艶っぽい遊びが発端。
- 節分の頃は新しい香の物が漬かる時期で、江戸時代中期、香の物入りの巻ずしを丸のまま恵方に向かって食べ、縁起をかついだ。
お寿司屋さん組合の販促チラシは、花街の芸妓の説と艶っぽい遊びの説の両方を念頭に置いて書かれたものかなと想像します。
恵方巻きの由来は遊郭の旦那の下品な下ネタが発祥?
恵方巻の由来の代表的な説の3つ目の遊女との艶っぽい遊びが、下品だ、下ネタだ、セクハラだと糾弾されています。
上方古典落語の「遊山船(ゆさんぶね)」には、
舞妓に巻き寿司を長いまま食べさせて、それを面白がる客というシーンが出てきます。
ただ、下ネタの雰囲気は全くありません。
巻き寿司のシーンは20分30秒くらいからです。
遊郭でお遊びをする旦那衆であれば、
遊女と遊ぶのに、楽しいアイディアには事欠かなかったでしょう。
何の気なしに「商売繁盛を願う巻き寿司をお前たちも頬張ってみろ」
なんて言ったかもしれません。
目を白黒させながら頬張る姿を見て楽しんだのでしょう。
とにかく、多くの人が糾弾している程、
直接的に卑猥な発想をもってやらせたとは、
思えないなというところです。
知識人の見解を目にしても、旦那衆のお大尽遊びとはあっても、
卑猥な話は出てきません。
もっともクリアに「旦那さんに見立てた太巻きを食べる」説を広めているのは朝の情報番組「スッキリ!!」です。
2009年の放送ですね。
恐るべし、情報番組。それも「スッキリ!!」って。笑
恵方巻きの方角の由来や決め方は、恵方巻きの方角の由来と決め方! 2019の方角は?
恵方巻きをいつ食べるのかは、恵方巻きはいつ食べるの?2019の予約開始はいつ?お得に購入するには?にまとめてあります。
まとめ
恵方巻きの由来は、諸説ありますが、
船場の旦那衆と遊女の遊びが関係している説は、全くのデマでもなさそうです。
それを大阪のお寿司屋さん組合が、
花柳界の華やかさと庶民を結びつけるイメージ戦略の販促を行った
というのが恵方巻きの由来が遊女であるという説のそもそもの始まりということです。