今年の3月28日に米国にて、新井領一郎の子孫が所持していた、
吉田松陰の形見であった短刀が本物と判定され、話題となりましたね。
吉田松陰といえば、坂本龍馬や西郷隆盛に並ぶ明治維新の立役者として知られているくらい有名ですが、
新井領一郎とはどういう関係だったのでしょうか?
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吉田松陰とはどんな人?
長州藩の精神的指導者で、明治維新の影の立役者としてその名をとどろかせた吉田松陰。
松下村塾を作り、高杉晋作や伊藤博文など明治維新の立役者となった人材を輩出した。
現在においても吉田松陰に関連する書籍が自己啓発として出版されたり教育界においてここまで影響力を持つ人もいないというくらいの人物です。
吉田松陰の名言3選
吉田松陰はさすがの教育者というだけあって数々の名言を生み出しています。
松陰先生の素晴らしさがわかる名言を3つ厳選してみました。
国家とともにという志がないならば、人ではないのである
日本を捨てたらいかんよということです。
坂本龍馬や西郷隆盛などのこの頃の志士たちの姿勢も「日本のために」というものでした。
今の日本を作っていったベースとなる思想ですね。
宜しく先ず一事より一日より始むべし
まずひとつのことに集中しなさい。そして思い立ったその日には取り組みなさいという意味です。
うーん、やはり深いですね。
日本一の大商人斎藤一人さんも、「目の前のことを一生懸命やること、そしてそれをいち早く行動に移し改良することが成功する秘訣だ」というように、これは普遍の真理かもしれませんね。
人を信ずることはもちろん 遥かに人を疑うことに勝っている
極めつけはこれです。
人を疑うくらいなら、信じて騙されたほうがましだという意味です。
これは最高にかっこいい名言ですね。
やはり後世に残る志士は、普遍の真理をついていて、そういった本質論こそが国を変えてゆくのですね。
新井領一郎とはどんな人?
明治維新後に、日本の生糸を世界に認めさせた男、それが新井領一郎です。
日本の生糸は不平等条約における貿易不利に悩まされてきていましたが、
単身でアメリカ・ニューヨークにわたり、日米貿易の開拓者として貢献しました。
群馬県にある富岡製糸場が世界遺産として登録されるようになったのも、このころの領一郎の功績が多大だったのは間違いありません。
領一郎が渡米する際の餞別に、福沢諭吉の名前もあったそうですから相当な人物だったことは想像にたやすいですよね!
日本にゴルフを広めたのも新井領一郎?
また日本にゴルフを広めたのも実は新井領一郎でした。
えーーーーって感じですよね。これにはほんとに驚きです。
アメリカでゴルフに魅了された領一郎は、当時の日銀総裁や昭和天皇にまでゴルフをすすめ、日本初のゴルフ倶楽部である「東京ゴルフ倶楽部」の創設者にまでなってしまいました。
吉田松陰と新井領一郎の関係は?
新井領一郎がニューヨークに飛び立つ前に、吉田松陰の妹である、寿が領一郎に託したのが松陰の形見であるこの短刀だったのです。
松陰の夢は太平洋を渡ることでしたが、その夢をかなえることができず亡くなったため、アメリカに短刀を持っていけばその無念が果たされるだろうと思った寿の配慮によるものでした。
その後、領一郎の子孫に受け継がれました。
それがつい先日に本物だと鑑定されたということです。